オランダ商館をあとにして、オランダ塀の続く坂道を登って「松浦史料博物館」へと向かった。松浦史料博物館は、昭和30年(1955年)松浦家39代当主により資料等を寄贈され設立された。建物は明治26年(1893年)に建てられた、鶴ヶ峰邸という当主の私邸(国指定登録文化財)。
平戸藩主松浦家は、歴代の当主にかなり個性的な人物が多い。海外との交易も盛んな平戸という地にあって、歴史資料や美術品なども興味深いものが残されている。特に江戸後期の当主松浦静山のコレクションは特別。当時としても貴重な文物を多く収蔵している。
日本で初めて正確な日本地図を作った伊能忠敬。17年にわたる全国測量の際、当然平戸にも立ち寄っている。この測量の時、9代藩主静山は平戸の地図をひそかに渡すよう伊能忠敬と約束したという。その地図も松浦史料博物館に展示されている。実物をはじめて見たのだが、精密さに驚いた。江戸時代にこんな詳細な地図を日本全土で作ったというのはすごい。
大名婚礼調度も展示されている。雛道具は婚礼道具をミニチュア化したもので、細かく正確に作られている。囲碁や将棋も嫁入り道具だったのだろうか。
松浦史料博物館を出ると、次はバスで平戸城に向かった。その途中、平戸温泉の「うで湯・あし湯」なる施設があった。地元の人たちが井戸端会議をしながら浸かっている。こういう施設があるというのも温泉地ならでは。やはり温泉は地域の人たちが守っていくものだと思う。
下調べもなにもしてなかったのだが、平戸鯨の館という店を見つけた。鯨かつバーガーに激しくひかれたが、今回は時間もないし、我慢しておくことにした。はっしーさんは鯨の竜田揚げを買い食い。鯨の竜田揚げは今ではほとんど食べる機会がない。小学校の給食に出ていたが、それ以来3~4回食べただろうか。これも産地で食べると格別なものだ。
平戸城は2度失われている。松浦家は豊臣秀吉と親交が厚かったため、徳川家康から警戒されていた。その嫌疑を晴らすため、城を焼却したという。その90年後、平戸城の築城が許可され再築されたが、明治の廃藩置県により廃城となりまたも解体された。今の平戸城は昭和37年に平戸市により復元されたもの。
港から見ると、はるか上にそびえる平戸城は超然としている。歩いて登っていくと、眼下に広がる平戸の街がよく見える。オランダ商館などさっきまで歩いていた道がどうつながるのかよく分かる。天守閣に登るとさらに視界が開けた。風がものすごく強いので長くはいられないが、黒子島が一望にできるのは感動的な景色だった。