大塚は都内屈指の「三業地」として栄えた土地だ。三業地というのは、芸妓置屋、待合、料亭の営業が許可された地域。全盛期の大塚には芸者が300人以上いたというから、城北一の花街と呼ばれたのも頷ける。今でも当時の名残は色濃く残っている。大塚三業通という通りを歩くと、料亭や寿司屋など質の高い飲食店がいくつも軒を連ねている。大塚といえば居酒屋の名店が多いことでも知られているが、こうした背景を踏まえると大塚の居酒屋文化の理解も深まる。
江戸前料理「なべ家」は昭和10年(1935年)の創業。大塚が最も栄えた頃からの老舗だ。ご主人の福田浩氏は江戸料理研究の第一人者。早稲田大学文学部卒業後、料理の修業をして家業を継いだという。江戸料理に関する著書も多く、有名な「豆腐百珍」の現代語訳もしている。豆腐百珍は、天明2年(1782年)に刊行された100種類の豆腐料理を解説した料理本。江戸時代に出版された料理本は少なくとも500冊以上あったといわれるが、豆腐百珍はその中でも大ベストセラーだったらしい。
なべ家は全室個室で、季節ごとにコースが用意されている。4月ねぎま鍋コース、6~9月あゆ塩コース、8月あわびご飯コース、9~10月松茸・落ち鮎コース、11~3月蓬莱鍋・ふぐコース。どのコースも季節の素材を活かした江戸前料理を現代風にアレンジしている。この日は松茸・落ち鮎コース。秋の味覚、〆鯖・松茸焼き・落ち鮎煮浸しなどが用意されている。
突き出しの卵焼きは、酒だしで甘辛く焼き込んだ江戸前の卵焼き。少し焦げめがついているのがいい。豆腐粥は、細かく小さく切った豆腐となめこの食感が絶妙。確か豆腐百珍には出ていないメニューだが、ヒントは得ているのだろうか。出汁がやさしく、しみるようなうまさだ。
《と思ったら、「続編に載ってるよ」というメールをいただいた。豆腐百珍は非常によく売れたので翌年以降、『豆腐百珍続編』、『豆腐百珍余録』などの続編が出版され、さらに様々な百珍本も出版され百珍本ブームを巻き起こした。この豆腐粥は豆腐百珍続編の方に掲載されたメニューとのこと。》
サバの刺し身は軽く〆ていて、ねぎ、わけぎ、にんにく、みょうがなど薬味と一緒に辛子をつけて食べる。薄切りで細かく包丁が入った静岡松輪のサバ。これには日本酒を合わせておきたい。なべ家の酒は、松緑と黄ぶなの2 種類。おすすめの黄ぶなをぬる燗でお願いした。
メインの一つ松茸焼きが登場した。香りがよく肉厚の松茸がひとり三本。これは、うまい。紅葉と銀杏の葉も秋らしくていい。おいしさの秘密は特製のソースにある。仕入れたときに入っている小さめの松茸を捨てずに酒と醤油で煮て、継ぎ足し継ぎ足して長年使っているという。これはなべ家でしか味わえない味だ。
そばは神田まつやから仕入れたもの。昨年はかなりそばを食べ歩いたが、一番おいしかったのはこの日のそばだった。ちなみになべ家の豆腐はえん重で仕入れている。「近くのものを使わないと」ということだが、大塚の自力はこんなところにも発揮されている。
落ち鮎の煮物は卵がたっぷり。というか、ほとんど卵という状態。甘めにしっかりと煮ていて頭からシッポまで食べることができる。落ち鮎というのは、秋頃産卵のために川を下る鮎のこと。たっぷりと卵を抱えているのはそのためだ。
お茶漬けは松茸の香りがする。ほんのりと染み入るようなうまさだ。デザートは焼き柿と寒天の中に豆腐が入ったもの。これは豆腐百珍に出ている「玲瓏(こおり)豆腐」だろう。型の中に豆腐を入れ、煮溶かした寒天を流して固める。濃厚な豆腐の味わいを寒天で閉じ込めるというのは独創的だ。これほどおいしいものを江戸時代に食べていたとは。失いたくない味ではないか。
なべ家はミシュランで一つ星を獲得している。この店は実力的に選ばれて当然だが、一つ星の中にはそうではない店もかなり含まれているように思う。一つ星のリストを見ると、東京の食文化全体をカバーしたい願望があるように思えて仕方ない。ミシュランは「皿の中だけで判断する」と言いつつ、実はしっかりと食文化の本流を捉えようとしているような気がする。
■店名:なべ家
■住所:東京都豊島区南大塚1-51-14
■電話:03-3941-2868
■営業時間:17:00~21:30(L.O)
■定休日:日・祝
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