東大前、本郷通りにある名店「呑喜」をご紹介します。僕のとっておきの店なので、大きな声で宣伝したくはないのですが、居酒屋好きの人には一度は訪れて欲しい店です。呑喜は間違いなく東京で最高の居酒屋の一つだと思います。それだけでなく東京のおでんの歴史を体現する貴重な店なのですが、なぜか最近の居酒屋の本には載っていないようです。
あまり情報がないから誰も来ないのでしょうか。何かに載っている店だから飲みに行くという姿勢では限界があります。そういう意味では僕も本やブログに頼るのではなく、居酒屋は自分で発見して自分がいいと思う店を自信を持って紹介するべきだと改めて感じています。そんな中、名著『居酒屋礼讃』(森下賢一・筑摩書房)には呑喜はちゃんと載っています。古い店なので居酒屋を語る上でも無視できない存在です。
少し早い時間の訪問です。店に入ると、まだカウンターにお一人座っているだけ。おやじさんに挨拶をして、入口横の棚に荷物を置いて、席に座るまでの短い時間。もうこれだけで十分でした。「これはすごい店に来た」とまさに肌で感じました。こういうことはそう何度もあることではありません。
居酒屋の名店には必ずと言っていいほどある独特の空気があります。呑喜も例外ではなく、あの何ともいえない空気が流れていました。
はじめに玉子、大根、ちくわ、ふくろあたりを頼みます。店内にメニューはありません。鍋の中を覗いて今あるタネの中から食べたいものを選びます。はじめてでも値段を気にする必要はまずないと思います。おでんを十数個食べて、酒3本で2,000円ちょっとのお会計ですから、ものすごく安い。
玉子やだいこんは味が染みていておいしい。東京風のいかにも濃そうな見た目ですが、食べると意外と薄味のおでん。ふくろは中にすき焼きの具が入っています。
続いて豆腐、がんも、つみれを注文。スジを頼むと「スジはまだ早いから後にした方がいいですよ」と言われます。慌てて食べて帰るわけでもないし、スジができるまでのんびり飲みながら待つことにします。ここらでようやく酒を注文。「お酒ください」とだけ言ってみます。酒は何も言わなくてもぬる燗で出てきました。銘柄は分かりませんが、ここで飲むとなんともうまい。
ずっと気になっていたのが、おでんの鍋の横に張り付いたようになっている燗つけ機。相当古いものです。呑喜は今のご主人が4代目で創業120年にもなるそうです。東大の目の前にあるので、昔から大学関係の人が通う店で、昔を懐かしんで訪れる人も多い。僕らの隣の人も息子さんと二人で来ていて「こいつせがれです。30年ぶりなんですよ」とおやじさんに話しています。意外にもおやじさんは「そうですか」とそっけない。常連にも一見にも同じように接し決してこびない。名店らしい客あしらいです。
そろそろスジがいいようです。ボール(イカ入り)、里芋、しのだまき、スジ、うずらを注文します。鍋の中を見てもよく分からないので、「これ何?」と聞きながら「じゃ、それください」という感じで注文します。このあたりでそろそろ閉店時間も近づいてきました。そんなに食べてないのにお酒3本ゆっくり飲んでしまいました。
この時間帯になるとおやじさんも気楽になってきて、いろいろ話をしてくれます。定番は落語の話。スクラップした切抜きを渡されレクチャーがはじまります。おでんについてもいろいろと教えてくれます。「しのだまきは、油揚げが狐の好物だから、信太の森の狐伝説からこの名が付いたんですよ。信太の森の狐伝説というのはね・・」と話題は尽きません。そんな話を聞きながら飲むのは楽しくて、もう何度も通ってしまいます。
最後に茶飯を注文します。醤油と酒だけのシンプルな味付け。呑喜に来たらシメはこれです。
いい気持ちになって家路につく時、「この店を見つけてよかった」というなんとも言えない満足感がこみ上げてきます。酒飲みにとって最高の瞬間ではないでしょうか。
■店名:呑喜(のんき)
■住所:東京都文京区向丘1-20-6 ファミール本郷 1F
■電話:03-3811-4736